子どもを”手放す”には勇気がいる

皆さんは普段子どもを”手放す”ことがどのくらいできているだろうか?

前提として、ここでいう”手放す”とは子どもの遊びに『手を貸さず、管理せず、監視しない』という意味である。

これは夏休みのある預かりの日の一場面。天気が良かったので外に出た時のこと。

以前、外遊びをした際に子どもたちは生い茂るふきの中に通り道を見つけていたらしく、「今日も探検に行く!」と駆け出して行った。
「山本さんは後ろから・・・・ついてきてね!」と言われたので、僕は最後尾からゆっくりついていった。

ついていくと、なるほどたしかに。
ふきの間に獣道と呼べるような細い踏み跡がついていた。そしてこの探検隊の一団は、そのわずかなふきの間に躊躇なく分け入っていく。

この探検隊の紹介をしておくと、異年齢7〜8人の集団であり、一団の先頭を行くのはこの道の発見者である年長児だ。

この時、僕の中には二つの選択肢が生まれた。

ひとつは、このまま黙ってついていき、子どもたちと同じ視界を共有し、何かあれば同行者として手助けすること。

もうひとつは、この手に汗握る冒険を子どもたち自身に委ね、この場を離れること。

僕は頭の中で探検隊のメンバーの育ちを振り返った上で、ちょっとだけ勇気を出して子どもたちにこう伝えた。

「ねぇ、この先は子どもだけで行ってくれる?」

子どもたちは一瞬だけ間を置いてから「うん、何かあったら呼ぶね」と言った。

子どもたちの心には”どんな危険が待ち受けているのだろうという不安”よりも、この先に”何があるのかという期待感”のほうが大きいのだろう。振り返ることもせず、どんどん突き進んでいった。

僕は子どもたちの動きが掴めるよう、近くの築山を登り、上から俯瞰することにした。ただしこれは監視するためではなく、子どもの「タスケテ」にいち早く反応するためだ。

子どもたちがいるであろう場所はふきがガサゴソと揺れている。時折風に乗って子どもたちの声も聞こえてくる(ような気がする)。

子ども達からも僕の姿が見えたようで、合図を送ってくれた。表情を見るにどうやら救難信号ではなさそうだ。

その後、5分くらい経ったろうか。先頭の年長児がふき畑を抜けて、出てきた。

「隊長!無事でしたか」と声をかけると、ニカっと笑って隊長っぽく敬礼を返してきた。

隊長の後を追うように、続々と隊員たちが飛び出してくる。一人も迷子になることなく、全員無事に脱出。

僕は一人一人に「良かったね」「落とし穴はなかった?」「クマはいなかった?」と声をかけ、子どもたちからの探険報告を聞いた。

さて、一度ハラハラドキドキ潜り抜けた子どもが次に言う言葉。皆さんも容易に想像がつくだろう。

「もう一回行ってくる!」

今度は先頭の子(隊長)が代わり、新たな探検隊となったようだ。

このあと、子どもたちによって第四次・・・探検隊まで組織され、探検を存分に楽しんだようだ。

幼稚園で勤めているとどうしても『安全』の2文字が頭をよぎり、意識せざるを得ない。
幼児教育施設は『安全』がベースにあり、そこが担保されているからこそ子どもたちは伸びやかに遊ぶことができるのだ。
大切でかけがえのない命をお預かりしている以上、安全面に留意しなければならないのは当然のことだ。

だが、この『安全』という言葉がTPOに関わらず、行き過ぎているように感じてしまうことがある。
本来大切なはずの『安全』も、度を超えると管理や監視へと変わり、それらは子どもたちから”遊ぶ楽しさ”、つまり”生きる活力”を奪ってしまうと僕は考えている。

園生活が全てが監視され、大人によって管理されていれば、子どもは一切怪我をすることはないだろう。
だが、怪我をせずに育つ子どもが果たしてこの世に存在するのだろうか?(自分のことを振り返ってみても、ありとあらゆる怪我をしてきた記憶がある)

正直『安全』の匙加減は非常に難しい。だからこそ保育者は子どもの挑戦を、見守るのか手を貸すのか声をかけるのか、様々なパターンやリスクなどに想像を巡らせながら日々子どもたちと向き合うのだ。

今回、子どもたちは探検隊を通して何を学んだだろうか?何を得ただろうか?少なくとも少々の擦り傷や切り傷はついただろう。

お風呂のお湯で沁みるその傷たちを見つめながら、この探検を追想してくれていたら何よりだ。